スピリチュアル界で人気ナンバー1・2「天使」と「龍」が実はヤバい!他力本願で苦は解消しないと思うよ
レイキやオーラリーディングやアニマルコミュニケーションというスピリチュアルど真ん中のことを行っている私が、こんなにスピリチュアルにネガティブなことを書いて良いのだろうかといつも思ってはいるのだが、でも、やはり言っておいた方がよいと感じていることは書きたいと思う。
誰だって不可思議な経験をしたことくらいあるだろうけれど
多くの宗教やスピリチュアルには、現実と異なる不可思議な世界のことを扱うという共通点があります。
不可思議なことは多かれ少なかれ誰しもが体験したことがあるでしょう。しかし、こと宗教やスピリチュアルの世界となると、大抵の場合は教祖や指導者だけの特異な体験として説明されて終わりです。そこに科学的な根拠らしいものは示されてはいません。現在の科学では立証できないだけなのかもしれませんが、一方、妄想概念を大げさに言っている可能性も捨てきれないのです。
不可思議な事柄を願望や妄想と結びつけると大変危険なことに
宗教はもとより、スピリチュアル業界でも、信心や信仰心があると天使や龍が夢や潜在意識に現れるという話をよく聞きます。
いるのかいないのか分からないものが脳裏に浮かぶというのは、妄想の類である可能性があります。「天使に助けてほしい」「龍の加護を受けたい」という激しい思いが執着となって脳裏に浮かんでいる可能性が高いのです。
これが自分一人だけの妄想でおわらせているうちは、それほど問題ではありませんが、宗教やスピリチュアルの指導者が口に出すと大変危険なのです。
妄想の中で出現させた天使や龍なのに、あたかも自分が選ばれし超能力者になったと信じ、自分は他人の願望を成就させられるのだと錯覚して危険な道に足を踏み入れるケースがあとをたちません。
今こそ、他力本願で物事は解決しないことに気がついた方がよいかも
天使や龍などの不可思議なものに救いを求める方々には酷な話だとは思いますが、苦しみから逃れる方法は、今、苦しみの渦中にいる自分自身の中にしかありません。他力本願でどうにかなるものではありません。
※他力本願とは
「他力本願」は、もっぱら他人の力をあてにするという意味で、いろんな場面で使われています。これはたいへんな誤解です。ここで言う他力とは、他人の力ではなく、仏の力、阿弥陀仏の慈悲のはたらきを指します。仏さまの生きとし生けるものを救わずにはおれないという強い願いのはたらき、これが「他力本願」なのです。
レイキの目的の一つに安心立命というものがありますが、他力本願ではどうにもならないという現実を回避しているかぎり、安心立命の人生はないでしょう。
※安心立命とは
心を安らかにして身を天命にまかせ、どんなときにも動揺しないこと。人力のすべてを尽くして身を天命にまかせ、いかなるときも他のものに心を動かさないこと。
せっかくなら調和の取れた波動を選択して前に進みたい
宇宙の万物は常に変化していて、その変化していくエネルギーによって波動が生じます。
波動は人間のみならず万物が想起しているものですが、調和のとれた波動もあれば、不調和な波動もあります。
苦しみから逃れる方法は、今、苦しみの渦中にいる自分自身の中にしかありませんが、せっかくならば波動の調和がとれた道を進みたいものです。
その選択手段の一つとして、波動の情報を読み取るオーラリーディングを私は行い、レイキの修得などにも応用しています。オーラは色が見えるだけではもったいないのです。波動の情報を読み取ってより良い選択を行うのに活用いただきた技術の一つです。
ちなみに、天使や龍が何かしらの波動を具象化したものだということならば、なんとなく納得だ。